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聖徳太子(南無仏像)






上半身が裸で赤い袴をつけた幼子姿のこの太子像は、南無仏太子と呼ばれ、聖徳太子二歳の姿を写したものとされる。幼い太子が誰からも教えられることなく合掌し、東に向かい「南無仏」と称えたという有名な説話にもとづくとされ、鎌倉時代後期以降造像されるようになった。このような太子像は、北信越地域を中心にとくに多く分布し、現在でも篤い信仰を得ている。
当山の南無仏太子像は表情がリアルで、同じく先の孝養像に顔立ちが似ているというしてきがある。檜材の寄木造で玉眼をはめ込む。なお本像について、孝養像の中に納められていたとする伝承がある。